生活一覧

キャッシュレス社会との付き合いと、現金預金の取り扱い

「キャッシュレス社会」到来と言われて久しくなりました。交通系電子マネーに始まり、クレジットカードの小口利用やなんとかペイなど、確かにキャッシュレス社会は確実に、しかも地方にも浸透してきています。

私は、キャッシュレス社会には概ね肯定的であるものの、クレジットカードの使い過ぎには、引き続き警戒しなくてはならないと思いました。

私は、親元で生活しているので、(障害)年金収入を生活費に使う必要はないのですが、クレジットカードに与信枠があると、思いのほかカード決済を使い過ぎてしまい、親に救援を頼むことがしばしばです。お恥ずかしい限りですが。

こういうことが重なると、「ああ、現金決済は大事ね」と思ったりします。親が亡くなって、一人暮らしにでもなれば、大きな出費の時にどうするんだ、という問題はあります。ですが、クレジットカードで決済したとしても、いずれは後で払わなければならないので、それなら、現金決済主義は残しておかなくてはならないな、ということになります。

そこで、今後の予定として、今持っているクレジットカードの利用限度額を極限まで引き下げ申請することを検討しているところです。親に迷惑をかけることはいつかはできなくなるので、それを予防する意味も込めています。

一度に高額になる買い物は、デビットカードで行おうかと思っています。デビットカードの利用は信用情報には反映されませんが、クレジットカードは日々の中くらい(スマホ購入等)の買い物に使うことにしてもいいのではないかと思いました。

そのもととなる、銀行預金ですが、これも、完全には信用できません。現在のような時代の大変動期においては、大東亜戦争前後の日本の貨幣の歴史を見ても、現金ではなく、有価証券・貴金属などのモノで保有している方が、価値保存には有効です。

今月の16日より、株式と一部の有価証券の決済日が約定日の2営業日後に1営業日分短縮されることを考えると、株式等の換金性が向上したと言えます。「今すぐに」必要な生計資金は最低限の現金預金で保有し、残りは有価証券や貴金属で保有する、という金融生活形態を構えておく必要もあるな、とキャッシュレス社会のこととあわせて考えているところです。


ETF積立開始と収支管理

今月より、『野村日経高配当50連動型上場投信』の積立投資を開始しました。

毎月1口ずつ、野村日経高配当50ETFを買付けて、財産形成を目指していきます。

これと併せて、自身の収支管理方法を変えることにしました。

自身の収入(就労と年金)は親に全て預け、管理してもらいます。ETFだけは自分の証券口座で管理します。ETF買付代金は最初に親に立て替えてもらい、自分の収入で弁済し、残金は親に預けます。

こうして、私は今まで長らく続けてきた無駄遣いをやめ、収支を親と協力しながら管理していくことにしました。

前回の記事でも少し触れたのですが、PCに向かう時間が長すぎて、頭がフル回転し、逆に、PCと離れている時間が無駄に感じてきてしまうことで、PCへ向かわざるを得ないような気になる状態が長らく続いてきました。

その結果として、ネットを介した無駄遣いが多額に生じるなどの悪い現象が起こっていたのだと考えました。PCに無駄に向かっている時間を減らし、休息を取ったりする時間を多く確保しながら、メディアと自分が触れる距離を取っているのと同じように、PC等のIT端末と自分の間にも、少し距離を取っていこうと思います。


心と体の関係を変えていく

福祉施設でパソコン作業をしていて気がついたのですが、施設のPC操作をしていると、脳味噌がフル回転して集中力が増すような気持ちがありました。単なる入力作業をしているだけなのですが、脳が凄く刺激されている感じがしました。

日々の暮らしのなかでのスマホ・PC・タブレット端末などとの付き合いを振り返ってみても、IT端末群を操作している時は、自分がその端末に集中して向かっている感じで、頭もフル回転する気分がしていたように思います。

何と表現してよいのか、難しく思うのですが、自分の行動力以上のことが脳と(目と)手先だけでできてしまう感じです。

脳と手先とIT端末の関係性のおかげで、自分の能力がいかんなく発揮されるようで、いいことのようにも思えるのですが、弊害もある気がします。端的に言えば、心と体のアンバランスです。

私は病気・障害を抱えているので、作業能率が低い上に、行動を起こすことに心的負担を多く感じてしまって、億劫に思って行動を起こすことが苦手です。健常者(含む家族)には言わないとなかなか理解してもらえませんが、例えば、旅行とかは楽しいし目的もあるのでそこまで苦になりませんが、それとは逆に、日常生活の簡単な家事が負担に感じて、家族の補助なしでは全くできなかったりします。

家族たちにしてみれば、「何でできないの?」と思われてしまいそうですが、頭の中では分かっていても、行動ができない、動作ができない、ということがままあるのです。

IT端末に向かい続ける生活を続けていると、そこから離れている時とのギャップがより大きくなっていきます。もどかしいような気持ち、何かをやりたい気持ち、そういうものが高じて、自分の場合は自宅でもPCに逃げてしまったりしているのだと思います。

このギャップみたいなものを埋めるのは無理だと思っています。ただ、PCを操作している時の自分を基準に生きていくのは、実生活では難しいので、PCから離れているときの自分を、軽視することなく考えてやらないといけないな、と思っています。

IT端末は能率を上げる道具ではありますが、そこから新しい発想を生み出せるものかというと、そういうものでもないと思います。なので、時間を持て余している私は、ベッドや畳の上などでゴロゴロとしながら、新しくやりたいことなどをぼんやりとでもいいから考える時間を持ちたいなと思います。なんでもスムーズに事が運んでしまうPC等とは全然違いますが、ぼんやりとものを考える時間も大切だと思いますので、PC等と向き合う時間を減らし、心と体のバランス調整をしていきたいと思います。

IT端末に向かう時間が多いせいで、「何かをしていないと気が済まない」という自分ができてしまっているように思うので、そのあたりの頭の不具合の解消ができたらなぁ、と思っています。


福祉施設での就労開始

福祉施設での就労を今月から始めました。

週五日に満たない短時間就労からのスタートですが、やはり、障害者に配慮をしてもらえる環境で働けるのはありがたいことです。

通所に慣れるにつれて、就労日数や時間を増やしていって、収入も増えていってほしいです。

自分の体調と相談しながら、今の就労を生活の充実の一助となるようにしていきたいと思っています。


助けを借りることで行動できる自分

家事を全くしなくなっている私でしたが、「捨てたいパソコンをそろそろなんとか」と親が言い出した、ということで、私が出動することとなりました。

親が一緒に作業に参加してくれると、私も動けることに気がつきました。私だけで何か家事をしようとするとできないのですが、親と一緒に作業をするぶんには、体がある程度動くことを発見しました。

やはり、「みまもってくれる人」「手伝ってくれる人」「介助者」がいないと、私が物事をやり通すのは難しいことに気がついたのです。このへんは、自分にかかってくるストレスを軽減させる効果があるのだろうと思います。

人の助けも借りながら、生きていくことが大切ですね。ここ数日それを実感する日が続きました。


人生哲学の構築が急務

私は障害者です。身体障害者の方々のことはよくわかりませんが、精神障碍者のことは、当事者でもあり、ある程度分かっているつもりです。

最近、パラリンピックなどで身体障害者の方々に労働以外の分野で活躍できる機会が増えているのを見かけます。諦めずに頑張ることが称賛されているようです。

それと関連しての話ですが、「不屈の精神」という言葉がありますが、精神障害者の場合はどうでしょうか。精神を病んでしまっている以上、その不屈の精神を発揮すること自体が、苦しみになってしまうというのは、なんとも言えない気持ちになります。

「頑張る」ということが、他の人々(健常者や身体障害者)以上に大変なことになってしまいます。精神障害者以外の人々の理解を超える世界なんです。

もう、今の年齢(40歳近く)になってしまってからは、吹っ切れて、周囲に合わせることはほどほどにして、精神障害者としての自分なりの人生哲学を構築しなくてはならないのではないか、と思い始めています。

「ガンバリズム」だけでは体が持ちませんから、自分が生きやすいように生きていく道を積極的に見つけることが必要な気がしています。

健康に気を遣って、これ以上の疾患を持つことの無いように気をつけながら、楽しながら着実に自己を成長させていく道を探りたいと思います。


家族から「面倒くさがり屋」「都合よく病気を持ち出す」と言われて

親に「とらのすけは家事を全くやってくれない、『面倒くさい』と言っている人に何も頼む気がしないわ」と言われてしまいました。

私は、風呂掃除を以前やっていましたが、「以前から面倒に思っていた」と表明したところ、「それなら、もうやってくれなくていい」と真剣に言われて親が風呂掃除をすることになりました。

最近は、ゴミ出しも、親から「『僕(とらのすけ)はゴミ出しをしてあげている』と言われるのが嫌だから私が出す」と言われてしまいました。

結局、私は今、家事を全くやっていません。

家事をやらないのは、私の病気に「何事にも億劫になってしまう」という、ヘンな症状があるせいが大きいと思っています。医者にも「億劫になるのは病気の症状でもあるから」と説明されたことがあります。

健常者から見れば、「まあ、何と都合の良い病気でしょうか」と思われるかもしれません。親も「都合のいいときだけ病気になるんだね」と私を皮肉る時があります。ただ、これがもし、私が一人暮らしだったら、家が「ゴミ屋敷」化してしまうおそれもあるので、真面目にとらえるべき問題だと思います。

統合失調症患者の集まりに顔を出したことがありますが、Macintoshの使い手の人もいたりしていて、精神疾患患者・障害者の方は一芸に秀でている方も多い印象です。

ただ、皆さんに共通していると思われるのが、「日常の家事が疎かになっていることが多い」ということかもしれません。片付けなども苦手なことが多いです。特定の事柄の対しては非常に熱心で技能・知識も豊富なのですが、基本的な生活がうまくいかない、ということが結構あるようなのです。

これについては、親など家族にも理解してもらいづらいことのようです。無益な家族間のケンカのもとになりそうですが、なかなか難しい問題だと私も思っています。


私の送りたい人生(2)

最近、小遣いが足りなくなり、「やっぱりお金が要る!」と思い始めました。経済的に保障される人生でありたいです。

お金が一定額あると「それほど要らない」と思い、少なくなる、あるいは足りなくなると「お金が欲しい!」と思うのは誰しも同じでしょうが、私の場合、お金は「あればあるだけ良い」という考え方に戻ろうと思いました。


わたしの「送りたい人生」

私は、金融がらみの記事ばかり書いていますが、本音を言うと、特に富豪を目的とはしていません。ただ、毎日楽しく過ごせたら、お金は必要な分だけで十分だと思っています。

本当は、資産運用さえ自分には向いていることなのだろうかと思ってしまう時もあるのですが、「まあ、お金があるに越したことはないから」という理由で行っています。

ふと、「自分はどんな人生を送りたいのか、どんな自分をよいと考えているのか」と自問自答したくなります。障害を持っているがゆえに、料理や洗濯はなかなか億劫でできませんが、今の生活に不満かと問うてみると、そうでもない気がしています。

PCに向かって、飲み物を飲みながら、適当にサイトを見て回ったりする今の生活以上に、何かやりたいことがあるのだろうか?と思ってしまいます。

考えてみて、結局のところ、「今の生活水準を維持して、経済的に保障された状況でありたい」という、あまり欲張らないけど、お金は少々いつもあって欲しい、という希望となりました。

あまり高い目標ではありませんが、イメージを膨らませて、現実にそのような安定した生活が死亡するまで送れるように、願いの力を使おうと思います。


金融機関(国内・海外)使い分け

海外口座も開き、いろいろと手を広げて運用をしているところです。

1週間半ほど海外口座を頑張ってやってきましたが、どんなものなのか、他の方々のお話も伺いながら、体験して得た結論があります。それは、「海外口座だけで全てを済ますのは無理がある」ということでした。

高レバレッジ取引も海外口座では可能ですが、ちょっとした誤りで資産が毀損してしまいます。あまり大金を入れて投資する場所ではないな、という感じもしました。

海外口座はメインにはできない、との結論に至りました。ですが、証拠金取引(FX・CFD)は海外口座で楽しむ方が良いと思いました。

海外口座は投資を日々楽しむのに使う、として、国内の金融機関を活用できる場面はどこかというと、貯蓄や元本の比較的安定した成長を図る場で、どうしてもなくてはならない存在だと考えます。

ということで、海外口座の活用の仕方は決まったので、今度は国内金融機関での資金運用についてゆっくり考えていこうと思います。


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