悩みごと一覧

今週末も競馬をせず済みました

今日も土曜日に引き続き、競馬にお金を消費せずに済みました。

いよいよ、今月の競馬もあと残り2開催日となり、競馬から足を洗える態勢が整いつつあります。勤倹貯蓄を推進していきます。

ただ、こういう時に限って、一日一日の過ぎるのが長く感じられます。良いことでもあるのですが、魔が差してしまったら、また困ったことになります。

競馬の話に戻します。競馬をやっていると、他のことに目が行かず、自然と「とるもの手につかず」といった感じになってしまいます。日常の細かな物事に目が行かなくなってしまい、感覚がおかしくなっていく…これは、私が精神疾患患者だから、ではなく、万人がそうなってしまうのだと思います。これが一番怖いのです。

ということで、「競馬は怖ろしいのでやめましょう。私もやめますから」ということが言いたかったのです。競馬はお金持ちになったら少々やるもの、といったところでしょうか。

週末は気を引き締めてかからないといけないというのは、相変わらずでした。「自分だけのカレンダー」で、水木曜日が休暇で土日はフル回転、としていますが、さすがに今週は週末までフル回転になりそうな気がしています。特に、日程等を見ると、金融市場に目を向けた場合、そうなってしまいそうです。


競馬にサヨナラしたと言えるにはまだ時間が必要

じつは、この前の土日は、残念なことに、馬券をクレジットカードでついつい買ってしまい、馬券を買わない日が連続した記録がたった4開催日で途絶えてしまい、自分でも後悔していました。

本日は、正常な軌道に修正すべき初日でした。見事、やり過ごすことに成功しました!クレジットカード投票の解約も申し込んでいるところです。

小金があると、土日に金融市場が動いていないことも手伝い、ついつい馬券を買うことがありました。「塵も積もれば山となる」で、小金をとっておくことも習慣づけなくては、という次の課題も見えてきました。

ちょうど余分な持ち合わせのない、今日のような日は、馬券を買わないこともたやすいのですが、懐に少し余裕があると、クレジットカードや現金で馬券を買ってしまうという、全てが無に帰すような行動をとることも過去多かったです。

馬券を買わない、という目先の目的を達した次は、余裕ができたときのお金の扱い方をしっかりと考えなくてはならないと思いました。せっかく、余裕のない時は馬券を買わないようになったのに、余裕ができたら馬券を買ってしまうのでは、いつまで経ってもお金は貯まりません。

そういうわけで、今度は、「小金を大金にする技術」を磨きたいと思います。

勤倹貯蓄を楽しく実現するにはどうしたらいいのでしょうか?少ないお金を一発賭けて大きく膨らませたい、という発想が、小金が懐にあった時に馬券を買ってしまう大きな要因だと思います。証券等への投資の世界で言えば、追証なしのレバレッジ投資をする、といった趣です。

それではいけないとなれば、やはり貯金箱にコインを投げ込むがごとく、どこかサブの銀行口座にお金を置く、あるいはメイン口座からそちらへ振り込む、というようなことを繰り返していくしかないのかもしれません。

真の意味で「競馬から足を洗えた」と宣言できるには、まだもう少し時間が必要です。


なんとかお金を稼ぎたい

毎日がそこそこ規則的に生活できているように思います。あまりに多忙なのもどうかと思いますが、私のように、あまりに暇なのも、致し方ないとはいえ、苦しいです。

それに加えて、病院が遠方過ぎて、しかも診察10分、薬の受け取りに10分で用事がすんでしまう私としては、病院に行く日を控えたときなどは「面倒くさいなあ」とどうしても思ってしまいます。

ですが、そこに、労働をすることが日課として加わったら、どうでしょうか。自宅に比較的近い場所に職場があって、働くことができたら…収入も増えますし、生きている実感がこもってくるのではないでしょうか。

私は、雇用されて働くことを過去に経験して、あまり良い思い出がないので、働くことに否定的だった時がありました。その時は、自分が精神疾患を患っていることは、職場の誰にも言いませんでした。また、当時は自分に合わない薬を飲んでいました。その時は気が付きませんでしたが。

今日は、久しぶりにハローワークに行って、就業相談をしてきました。

というのも、私の年金では、一人暮らしになった場合、学校でも学んでいるところの「文化的な最低限度の」生活さえ、まともに送れそうにないからです。今は親が健在なので、食事を食べさせてもらったりしていますが、今後のことを考えると、貯蓄・投資も危ういようでは、生活が将来立ち行かなくなることは、自明の理のように思えてくるからです。

地方ゆえ、なかなか良い条件で働ける場所がないのですが、チャレンジしてみようという気が湧いてきたので、またハローワークに行ってみようと思います。


外出の度に心が傷つく

このブログで結構、僕は外を出歩いている印象を持たれた方も多いと思います。ですが、実際には、外出はあまりしたくない、というか、したくなくなってきているのです。

昨日も、気温がちょうどよくて、お散歩日和でしたが、人通りのある街を歩く気はあまりなく、ほとんど家で過ごしていました。

外出は、相変わらず「心を傷つけられる」感覚があります。「外出にもいつかは慣れるだろう」と思い、病院までひとり列車で出かけたり、日本各地に旅行に出かけたりしましたが、心が傷ついて疲れてしまうことが外出するたびに感じられるという状態から抜けだすことは、ついにありませんでした。

家族に囲まれている自宅屋内では、皿洗いやちょっとした軽作業を手伝うことはできます。ですが、他人と接触する機会の多い場所や外ではなかなか活動はできません。

「これ以上、自分の障害が改善することはないな」と思うようになりました。まあ、自分のできることをできる範囲でやるしかないと思います。


診察に代打で親に行ってもらいました

先日、初めてのことだったと思いますが、僕がメンタルクリニックの診察に行かず、代わりに親に行ってもらいました。クリニックが少し遠方なので、僕の腰が重くて、しかも、最近とみに遠出が億劫になってきているので、代わりに親に行ってもらいました。親には毎度毎度クリニックまで連れて行ってはもらっているのですが、診察室に親だけが入るというのは、初めてだったのでは?と記憶しています。

今僕が困っている生きづらさについて、主治医の見立てを親から聞いたところ、「慢性症状なので、いかんともしがたい」という結論のようでした。現在処方されている薬をしっかりと服用し続けることで、今の状態を維持することが精いっぱいのようです。

僕も、調子のいい時もあれば、悪い時もあります。波は小幅にありますが、このまま時が過ぎていくのだろうな、と諦めではないですが、納得せざるを得ない気になりました。

あまり患者本人が診察に行かないとなると、薬が処方できなくなってしまうと主治医が話したそうなので、まあ、2回に1回くらいは、診察に自分が行かないといけないかな、と思いました。遠出する気が起きなくても、そこは我慢せざるを得ないようです。


今日もぼちぼち生きていきます

何度か過去、自分のどうにもならない日常生活の苦しさとか、もがきとかをブログ上で書いたつもりです。

そう言いながらも、自分が「必要とされている」と感じる場面もたまにはあり、生きていて苦しいだけでもないです。

働いていないことに、何となく「社会人でない」という気持ちを持つときもあります。いっぱしの大人ではないなぁ、と感じざるを得ない場面も少なくはありませんでした。

ですが、病気になって、これだけ(20年以上)経ってしまうと、開き直るしかないなぁ、と思う時も多くなり、近くの知り合いのところにちょこちょこ平日昼間に顔を出したりすることもあったり、天気が良ければ散歩してきたりと、体調の良い時は軽く動けたりして、何となく人間らしく過ごすこともできています。

親がもっと歳をとったら、とか、自分が老いたら、とか考えたらきりがないですし、先々の心配をしたらきりがありません。そこは、自分の出来る限りの自助努力は怠ってはならないんだけれど、例えば、お金を貯めるとかいうことですが、それもほどほどにして、日々の生活も少しは楽しんで、どちらもバランスをとって生きていきたいな、と思っています。

四季の移り変わりなどが体調にもろに影響を与えることも多いので、また「動けん…」とかここで書くこともあるかもしれません。薬のおかげで今の体調を何とか維持しているので、そこは仕方がないとして、まあ、今日もぼちぼち生きていこうかなぁ、と思います。


本日も未明起床→ごろ寝→頓服服薬→少し動ける

朝はすっきりと目覚めるものの・・・

朝は未明からパッと目が覚めて、パソコンに向かったり、スマホのチェックをしたり、先日買ってばかりのAmazonEchoDotに話しかけたりして、活発に動くものの、すぐにガス欠を起こして、布団に入ってしまいます。

そのあと、また布団から出て、遅く起きてダイニングに入ってきた家族と朝食をとり、定期服用の薬を飲んで9時ごろの相場のオープンまでは起きています。しかし、それから間もないうちにまた頭が重くなって、ベッドに入ってしまうのです。

気がついたらお昼だが昼食後も気分は冴えず

気がついたら、正午すぎて午後1時。昼食を食べますが、頭の重さや体のだるさは全く改善しません。そして、また布団へ…

午後3時前に布団から出て、再びダイニングへ。「もう自助努力をもってしてもどうにもならない」とようやく悟り、頓服薬を服用。

やっと頭と体が動き出す

 

なんとか、体が動くようになりました。やはり、薬なしでは動けませんし、頭も働きません。今日は夜にあと1回は頓服薬を服用しないといけないかもしれません。

…とまあ、こんな日はざらにある普通の日常です。そういえば、朝、朝食後に頓服薬を服用したような気がするんだけど…おかしいなぁ。気のせいか。まあ、仕方ない、ですね。

今夜は相場の流れも注目しなくてはならないし、土曜はまた早起きしそうですし、なんだかよくわからない生活を送っている私です。


昼間横になってしまうことが多いです

先日、月に一度の診察に行ってきました。

その時にも主治医に伝えたことですが、今も、パソコンに向かってブログを更新したい気持ちがあっても、すぐに気持ちが途切れて、精神的な圧迫感(ストレス)から、ベッド等に横にならざるを得ない日々が続いています。

主治医によると「病気の症状で、『疲れやすい』というのがどうしても出ている。薬ではある程度まで緩和しているが・・・」という話でした。

あとは、頓服薬を服用してみて、どれだけストレスを緩和できるか、といった感じのようです。このブログを書く直前に、頓服薬を服用してみました。少しストレスが緩和されて、パソコンに向かって作業ができるようになりました。

頓服薬には依存性は無いようなので、飲みたいときに必要なだけ飲めばよいのですが、頓服薬以外の定期服用の薬だけでは、安定して毎日を送るのが正直難しいです。外出する時もありますし、家にいるだけでも体が重くなって、先ほどまでのような状態になることもあります。

昼間に横にならざるを得ないというのは、生産的ではないので、とても困ります。精神疾患を持つものゆえの苦悩かもしれません。


「出会いと変化」を渇望中!

「出会い」なくして「変化」は人間に起こり得ないと思います。

別に、リアルな人間同士の出会いに限ったことではありません。インターネットを通じてでも、あるいは、本の著者にその著書を通じてでも、出会いはあります。それが、人間に変化をもたらします。

私が何も変化のない、味気ない生活を送っているように感じてしまうのは、その「変化」が乏しいからだと思います。そして、そのもとになる「出会い」もほとんど無い。

私が障害を持つ身でなければ、もっと積極的になって自分をリアルの世界でも晒していって、出会いを求められるのかもしれません。「半」ひきこもりでは、なかなか出会いは生まれないでしょうね。

まだまだ気力がある私ですから、何かしらの出会いと変化を求めたいです。そのようになるにはどうしたらいいのかを模索中です。


人生だけでも「かなづち」から脱したい

私はプールで50m泳げない「かなづち」です。今だったら、25mもあやしいです。

ところで、人生は、いろんな物事に例えられることがあります。「山登り」「マラソン」のように、どちらかというと苦しいことのように例えられることも多いです。

私は、人生を「魚が海底を泳いでいく」みたいなものと考えてみたいです。

溺れている人間のことを想像してみましょう。泳ぎたいのはやまやまだけれど、いっこうに進まなくて、その前に酸素不足におちいってしまって、空気を求めて頭だけ上を向いて、もがいている…そんな姿です。

上へ行きたいし、前に進みたい…これは、成長志向・上昇志向みたいなものだと考えることはできないでしょうか?

それに対して、海底を進む魚は前を見据えながらも、横方向へスイスイと移動します。これは、人生をスムーズに、成長とか向上心とかを抜きにして、自分の道をただただひたすらに進んでいく姿になぞらえることはできないでしょうか?

私は、人生を考えるとき、自分は成長しなくてはいけないという考え方に囚われていたのではないか?そろそろ、横移動というか、人生の幅を広げるというか、もっと間口を広げて行くことだけに専心していこうか、とふと思ったんです。

私は生きるのが下手だと自分のことを思っています。縦方向へ上っていくことばかりに目が行っていたような気がするんです。縦志向は苦しい。横方向なら楽。…と片付けることはできないでしょうが、人生という「海」を考えたとき、もがき苦しむのは嫌なので、「かなづち」から脱して、スイスイ人生を泳いで行けないだろうか、と思います。


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