悩みごと一覧

「儲け事」はこっそりと

Twitterでもつぶやいたことです。自分が儲けた話をTwitterやブログに書くことはしない方が、儲けを大きくできるのでは?という話です。

そういうのは結構真実であるようで、私も今月儲けた話をネット上で全く書かなかったのですが、そのために余計に儲かっているような気がして仕方がないのです。

ブログの更新が今まで2週間近く滞っていました。案外、投資や競馬の儲け自慢話もブログの多くを占めていたのかもしれないと思いました。

今後、もっと頭をひねって、記事をたくさん書くには、どうすれば良いのか、考えないといけませんね。


投資に「完璧」を求めない

投資シナリオを自分で策定して、投資作戦を実行した後、せっかくシナリオを考えて投資したのに、しばらくたって相場が思っていたのと逆の動きをしてくると、「このシナリオはすんなりと通らないかもしれないな」とか、不安が募ってしまい、その投資を中止してしまうことが過去に多々ありました。

記憶にあるものだけですが、過去の事例を検証してみると、短期間勝負を想定して、シナリオがその通りになるかならないかは、半々くらいです。他方、数か月単位以上の、中長期的な投資になると、紆余曲折はありますが、大体思った通りの結果になっているものが多いのです。それを、投資を始めて1カ月経つか経たないかのうちに、心変わりを起こしてやめてしまっていることが多いようです。

最近思うに、投資で「最高の結果を得たい」という気持ちが強すぎるのではないか、と思うようになってきました。言い換えれば「間違いを犯したくないと思ってしまう」気持ちが強いということでしょうか。

投資は成功する確率や期待値の高いものに「賭ける」ものです。長期投資も名前はかっこいいですが、ギャンブルの一種でしょう。成功する時期や実現する値の度合いは実現してみないとわかりません。

長期投資では投資期間が長期になるほど、リスクも拡大していきますから、相場が思っていたのと逆方向に動き始めると、それがしばらく続くうち、心が折れがちになります。

「自分はなぜ、この投資を始めてしまったのか」と悪い方、悪い方へとイメージが膨らみだして、結果、リスクの拡大に「心が」耐え切れず、損切りしてしまう結果になることがあります。

相場師本人のリスク許容度も問われるところですが、投資は、ある程度の我慢をすると良い結果が付いてくることが多いようです。実際、投資が利益を生む過程は、決して一直線ではないようです。一直線に思った通りの結果が出るのが理想ですが、そういうことはまずない、と思わなくてはいけないようです。これも「完璧を求めない」ということに繋がっていると思います。

完璧を求め過ぎず、程々の結果を得ることを期待することが、結果的に投資での成功を引き寄せることになるのではないか、と思います。


ETF積立開始と収支管理

今月より、『野村日経高配当50連動型上場投信』の積立投資を開始しました。

毎月1口ずつ、野村日経高配当50ETFを買付けて、財産形成を目指していきます。

これと併せて、自身の収支管理方法を変えることにしました。

自身の収入(就労と年金)は親に全て預け、管理してもらいます。ETFだけは自分の証券口座で管理します。ETF買付代金は最初に親に立て替えてもらい、自分の収入で弁済し、残金は親に預けます。

こうして、私は今まで長らく続けてきた無駄遣いをやめ、収支を親と協力しながら管理していくことにしました。

前回の記事でも少し触れたのですが、PCに向かう時間が長すぎて、頭がフル回転し、逆に、PCと離れている時間が無駄に感じてきてしまうことで、PCへ向かわざるを得ないような気になる状態が長らく続いてきました。

その結果として、ネットを介した無駄遣いが多額に生じるなどの悪い現象が起こっていたのだと考えました。PCに無駄に向かっている時間を減らし、休息を取ったりする時間を多く確保しながら、メディアと自分が触れる距離を取っているのと同じように、PC等のIT端末と自分の間にも、少し距離を取っていこうと思います。


心と体の関係を変えていく

福祉施設でパソコン作業をしていて気がついたのですが、施設のPC操作をしていると、脳味噌がフル回転して集中力が増すような気持ちがありました。単なる入力作業をしているだけなのですが、脳が凄く刺激されている感じがしました。

日々の暮らしのなかでのスマホ・PC・タブレット端末などとの付き合いを振り返ってみても、IT端末群を操作している時は、自分がその端末に集中して向かっている感じで、頭もフル回転する気分がしていたように思います。

何と表現してよいのか、難しく思うのですが、自分の行動力以上のことが脳と(目と)手先だけでできてしまう感じです。

脳と手先とIT端末の関係性のおかげで、自分の能力がいかんなく発揮されるようで、いいことのようにも思えるのですが、弊害もある気がします。端的に言えば、心と体のアンバランスです。

私は病気・障害を抱えているので、作業能率が低い上に、行動を起こすことに心的負担を多く感じてしまって、億劫に思って行動を起こすことが苦手です。健常者(含む家族)には言わないとなかなか理解してもらえませんが、例えば、旅行とかは楽しいし目的もあるのでそこまで苦になりませんが、それとは逆に、日常生活の簡単な家事が負担に感じて、家族の補助なしでは全くできなかったりします。

家族たちにしてみれば、「何でできないの?」と思われてしまいそうですが、頭の中では分かっていても、行動ができない、動作ができない、ということがままあるのです。

IT端末に向かい続ける生活を続けていると、そこから離れている時とのギャップがより大きくなっていきます。もどかしいような気持ち、何かをやりたい気持ち、そういうものが高じて、自分の場合は自宅でもPCに逃げてしまったりしているのだと思います。

このギャップみたいなものを埋めるのは無理だと思っています。ただ、PCを操作している時の自分を基準に生きていくのは、実生活では難しいので、PCから離れているときの自分を、軽視することなく考えてやらないといけないな、と思っています。

IT端末は能率を上げる道具ではありますが、そこから新しい発想を生み出せるものかというと、そういうものでもないと思います。なので、時間を持て余している私は、ベッドや畳の上などでゴロゴロとしながら、新しくやりたいことなどをぼんやりとでもいいから考える時間を持ちたいなと思います。なんでもスムーズに事が運んでしまうPC等とは全然違いますが、ぼんやりとものを考える時間も大切だと思いますので、PC等と向き合う時間を減らし、心と体のバランス調整をしていきたいと思います。

IT端末に向かう時間が多いせいで、「何かをしていないと気が済まない」という自分ができてしまっているように思うので、そのあたりの頭の不具合の解消ができたらなぁ、と思っています。


助けを借りることで行動できる自分

家事を全くしなくなっている私でしたが、「捨てたいパソコンをそろそろなんとか」と親が言い出した、ということで、私が出動することとなりました。

親が一緒に作業に参加してくれると、私も動けることに気がつきました。私だけで何か家事をしようとするとできないのですが、親と一緒に作業をするぶんには、体がある程度動くことを発見しました。

やはり、「みまもってくれる人」「手伝ってくれる人」「介助者」がいないと、私が物事をやり通すのは難しいことに気がついたのです。このへんは、自分にかかってくるストレスを軽減させる効果があるのだろうと思います。

人の助けも借りながら、生きていくことが大切ですね。ここ数日それを実感する日が続きました。


人生哲学の構築が急務

私は障害者です。身体障害者の方々のことはよくわかりませんが、精神障碍者のことは、当事者でもあり、ある程度分かっているつもりです。

最近、パラリンピックなどで身体障害者の方々に労働以外の分野で活躍できる機会が増えているのを見かけます。諦めずに頑張ることが称賛されているようです。

それと関連しての話ですが、「不屈の精神」という言葉がありますが、精神障害者の場合はどうでしょうか。精神を病んでしまっている以上、その不屈の精神を発揮すること自体が、苦しみになってしまうというのは、なんとも言えない気持ちになります。

「頑張る」ということが、他の人々(健常者や身体障害者)以上に大変なことになってしまいます。精神障害者以外の人々の理解を超える世界なんです。

もう、今の年齢(40歳近く)になってしまってからは、吹っ切れて、周囲に合わせることはほどほどにして、精神障害者としての自分なりの人生哲学を構築しなくてはならないのではないか、と思い始めています。

「ガンバリズム」だけでは体が持ちませんから、自分が生きやすいように生きていく道を積極的に見つけることが必要な気がしています。

健康に気を遣って、これ以上の疾患を持つことの無いように気をつけながら、楽しながら着実に自己を成長させていく道を探りたいと思います。


家族から「面倒くさがり屋」「都合よく病気を持ち出す」と言われて

親に「とらのすけは家事を全くやってくれない、『面倒くさい』と言っている人に何も頼む気がしないわ」と言われてしまいました。

私は、風呂掃除を以前やっていましたが、「以前から面倒に思っていた」と表明したところ、「それなら、もうやってくれなくていい」と真剣に言われて親が風呂掃除をすることになりました。

最近は、ゴミ出しも、親から「『僕(とらのすけ)はゴミ出しをしてあげている』と言われるのが嫌だから私が出す」と言われてしまいました。

結局、私は今、家事を全くやっていません。

家事をやらないのは、私の病気に「何事にも億劫になってしまう」という、ヘンな症状があるせいが大きいと思っています。医者にも「億劫になるのは病気の症状でもあるから」と説明されたことがあります。

健常者から見れば、「まあ、何と都合の良い病気でしょうか」と思われるかもしれません。親も「都合のいいときだけ病気になるんだね」と私を皮肉る時があります。ただ、これがもし、私が一人暮らしだったら、家が「ゴミ屋敷」化してしまうおそれもあるので、真面目にとらえるべき問題だと思います。

統合失調症患者の集まりに顔を出したことがありますが、Macintoshの使い手の人もいたりしていて、精神疾患患者・障害者の方は一芸に秀でている方も多い印象です。

ただ、皆さんに共通していると思われるのが、「日常の家事が疎かになっていることが多い」ということかもしれません。片付けなども苦手なことが多いです。特定の事柄の対しては非常に熱心で技能・知識も豊富なのですが、基本的な生活がうまくいかない、ということが結構あるようなのです。

これについては、親など家族にも理解してもらいづらいことのようです。無益な家族間のケンカのもとになりそうですが、なかなか難しい問題だと私も思っています。


精神障害者に優しいのはYouTube?それとも文字・静止画情報?

私は精神障害者で、健常者以上に精神疲労に弱く、刺激を多く受けるとすぐに疲れてしまいます。

例えば、山登りのような、肉体疲労を伴う行動の場合は、精神疲労に加えて肉体疲労も負担となりますから、さらにきつくなります。

今回は、パソコン等のIT機器を使った場合に、精神障害者はここでもハンディキャップを負うというお話です。

今、『ユーチューバー』がもてはやされているように、YouTube動画をネット上に上げることが流行っています。私も、以前ニコニコ生放送で深夜まで毎日のように生放送を頑張ってやっていた時期もありましたが、あまりに外野の暴言を受けることが多かったので、嫌になってやめました。

YouTube動画ではそういうコメントは入りにくいのですが、いろいろと工夫が必要です。生放送でないぶん、最初から自分で原稿を用意して話をしないと、視聴していても話し手の話すペースが遅すぎて観る側は嫌気がさしてきます。

私もYouTube動画をしばらくの間作っていましたが、精神的な疲れが負担となり、嫌になってやめてしまいました。原因は、ネタが少ないこともさることながら、精神的負担がかかってしまうことです。本当に疲れ果ててしまいます。

肉体労働でも、パソコン上の作業でも疲れやすい精神障害者には、「活動をする」「行動する」こと自体が健常者以上に大変なのです。かといって、人並みの知能を持っていれば、それを発揮したくなるのは人間の性だと思います。その、不自由さ、もどかしさが精神障害者にはつねにつきまとうこととなります。

さて、動画は疲れるので、静的メディアで軽いメディアであるブログやTwitterのほうが気楽で疲れにくく、付き合いやすいと思います。観る側としても、私はYouTube動画はあまり見ていません。

精神障害者(いろいろな人がいますがたぶん多くの精神障害者)はYouTubeの波には乗れないと思われます。どうやったらネット世界で自分を発揮できる人間で居続けられるのか、模索が続いています。


「疲れた・・・」が口癖に

最近、「疲れた・・・」が口癖のようになってしまっています。

なかなか健常者の方々には理解できないでしょうが、好きなことやっても、好きでもないことをやっても、その直後に主に精神的に強い疲労感が襲ってきてしまうのです。

夕食も、食欲は旺盛なつもりなのですが、食後にすぐに疲れてしまい、家族同士の会話も耳障りに感じてしまいます。「早く布団に入りたい」といった気持ちにすぐになってしまうのです。

そういえば、最近、排尿に時間がかかったり、朝の勃起が弱かったり、さらに性機能が低下していると感じたり、元気がないような気がしています。鬱の傾向もあるのでしょうか?

今週末は関西方面へ出かける計画を立てています。果たして、それも楽しめるのだろうか?と少々不安です。

元気であるとは言い難い状況なので、とりあえず、肩の力を抜いてリラックスすることを心掛けて、一日を過ごすしかないと思います。


やっぱりゴロゴロしているのは無理

前回の記事で、「ゴロゴロするのに慣れねばならない」と書きましたが、無理そうです。

昨日、スーパーまで母親と一緒に行き、あれこれ買うのを手伝って荷物持ちをして帰ってきました。人助けになるのは気持ちがいいですし、私としても、家の中をウロウロするような無益な行動ではなく、外出で歩き、しかも荷物を持って負荷も適度にかかり、母親とおしゃべりしながらですから、悪いことは一つもありませんでした。

こういう行動をとるのが快感に感じるということは、やはり、私も人間らしい生活を送ることが自分にとって良い体験であり、ベッドで寝て張り付けられているかのような生活は不自然極まりないということになります。

抗精神病薬は、時として、患者をぼんやりとした気持ちにさせてしまうとも言いますが、私の場合は、同じ薬を何年も服薬する経験を経て、症状の安定した状態が出来上がっているのかな、とも思います。精神的な疲れやすさは症状として残り続けてはいますが、注意力が健常者より劣ってしまうのは致し方ないにせよ、周囲の環境に過敏になってしまう症状が緩和されているのは間違いないと思えるようになりました。

就業はなかなか無理なこととは思いますが、消極的な生き方ではなく、よりよく毎日を生きていくにはどうしたらいいかをもっと考えなくてはならないな、と考えるようにします。


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