健康一覧

外出の度に心が傷つく

このブログで結構、僕は外を出歩いている印象を持たれた方も多いと思います。ですが、実際には、外出はあまりしたくない、というか、したくなくなってきているのです。

昨日も、気温がちょうどよくて、お散歩日和でしたが、人通りのある街を歩く気はあまりなく、ほとんど家で過ごしていました。

外出は、相変わらず「心を傷つけられる」感覚があります。「外出にもいつかは慣れるだろう」と思い、病院までひとり列車で出かけたり、日本各地に旅行に出かけたりしましたが、心が傷ついて疲れてしまうことが外出するたびに感じられるという状態から抜けだすことは、ついにありませんでした。

家族に囲まれている自宅屋内では、皿洗いやちょっとした軽作業を手伝うことはできます。ですが、他人と接触する機会の多い場所や外ではなかなか活動はできません。

「これ以上、自分の障害が改善することはないな」と思うようになりました。まあ、自分のできることをできる範囲でやるしかないと思います。


おなかの調子をさらに整えたい(2)

前回の続きです。ビオフェルミン錠に加えて、先日から粉末青汁を飲み始めました。

1日1回、夕方に飲んでいるのですが、翌日からお通じが良くなり、便のかたちもしっかりとするようになりました。

食物繊維を摂ることで、便もしっかりしたものとなり、おならも臭わなくなった模様です。

この習慣を続けていきます。


お腹の調子をさらに整えたい

ビオフェルミン錠を飲み始めて数か月、だいぶんお腹の調子は整ったように感じます。

ただ、用を足す回数は1日2回とかもあるものの、便の形が良くありません。軟便です。

おならも瞬間的ですが、臭うので、親から「タンパク質・脂分の摂りすぎ、食物繊維の不足」などを指摘されました。

ということで、家に常備してある、大麦若葉を使った青汁粉末を、氷水に溶かして飲んでみました。

食物繊維の摂取法としては、大麦若葉青汁などを飲むのは良いと思うので、習慣的に飲んでみようかと思います。


診察に代打で親に行ってもらいました

先日、初めてのことだったと思いますが、僕がメンタルクリニックの診察に行かず、代わりに親に行ってもらいました。クリニックが少し遠方なので、僕の腰が重くて、しかも、最近とみに遠出が億劫になってきているので、代わりに親に行ってもらいました。親には毎度毎度クリニックまで連れて行ってはもらっているのですが、診察室に親だけが入るというのは、初めてだったのでは?と記憶しています。

今僕が困っている生きづらさについて、主治医の見立てを親から聞いたところ、「慢性症状なので、いかんともしがたい」という結論のようでした。現在処方されている薬をしっかりと服用し続けることで、今の状態を維持することが精いっぱいのようです。

僕も、調子のいい時もあれば、悪い時もあります。波は小幅にありますが、このまま時が過ぎていくのだろうな、と諦めではないですが、納得せざるを得ない気になりました。

あまり患者本人が診察に行かないとなると、薬が処方できなくなってしまうと主治医が話したそうなので、まあ、2回に1回くらいは、診察に自分が行かないといけないかな、と思いました。遠出する気が起きなくても、そこは我慢せざるを得ないようです。


「あきらめるな!」

これは、アメリカのジョセフ・マーフィー博士の言葉で、博士が精神病院を訪問した際に入院患者たちに語った言葉だといわれています。

本でこのことを読んだ私は、最近まで「治癒することをあきらめてはいけない」という意味だと思っていたのですが、最近になってこのくだりを思い出し、違う意味なのかもしれないと思い始めました。

要は”Never Give Up!”という意味を訳したらこうなったのだろう、というわけです。日本語として言えば「投げやりになってはいけない!」と意訳すると良いと思いました。

これは、通院の精神疾患患者としての私にも言えることだと思いました。

投げやりになると、ついつい生活でも刹那的なうっぷん晴らし(競馬など)に走ってしまいがちですが、気持ちをしっかり持っていけば、お金もちゃんと管理できるし、生活リズム・体調管理や人間関係・ネット上での付き合いなども、不安定でなくなる、ということでしょう。

気持ちも自然と前向きになることが期待できます。横道にそれず、ゴールめいたものを目指して少しずつ歩める、という意味では単純明快だけれど素晴らしい箴言(しんげん)ではないかと改めて思いました。


診察を延期してもらいました

診察予約が本日だったのですが、延期の申し出をして、延期させてもらいました。

最近、乗り物に乗って遠出することが異常なほど苦痛に感じられるようになってしまい、少し遠くにあるかかりつけの精神科に行くのも億劫なほどになってしまいました。

今後は、ピンチヒッター的に、親に代理で診察日にクリニックに行ってもらうことも考えています。精神疾患の通院患者にはよくあるケースのようですが。

私にできる移動は、市内の路線バスに乗ったり、歩いて近所を散歩するくらいになっています。

今後も、いろいろな困難があると思いますが、無理はせず、自分の出来るベストは尽くしていきたいとは思います。


動画視聴は苦手です

私は、長時間動画を視聴することが苦手です。

理由は、目も耳を使って、ストレスが溜まって、疲れてしまうからです。最近、とくにそれを強く感じます。TVを長く視ていられないのも、同じ理由です。家族がTVを流して観ていると、音の刺激が強すぎて、聞きたくない言葉や音楽を聴かされている感じで、避けて自室に籠ってしまいます。

ですから、自分の好きなテーマのYouTubeの時事放談番組なども、たまに気の向いたときにしか見聞きすることができません。

これも、私の刺激に弱い、ストレスが溜まりやすく疲れやすい症状と密接に関連していると思います。

それに比べると、ブログやツイッターを読むような、視覚情報のみのメディアは刺激が少なくて助かります。情報の取捨選択も、比較的容易なのもいいですね。

私も、発信者の立場としてでも、動画配信サービスは経験上とても疲れることだと経験済みです。ブログはその点、自分のペースで文字を書いて比較的ストレスの軽い作業なので、続けられています。

世の中、ユーチューバーなどが流行ってはいますが、私には無理ですね。流行うんぬんよりも、体がついていかないので。私も他の個人の方が書いているブログやツイッターをよく見ていますから、文字情報も廃れることはないのではないかと思っています。


本日も未明起床→ごろ寝→頓服服薬→少し動ける

朝はすっきりと目覚めるものの・・・

朝は未明からパッと目が覚めて、パソコンに向かったり、スマホのチェックをしたり、先日買ってばかりのAmazonEchoDotに話しかけたりして、活発に動くものの、すぐにガス欠を起こして、布団に入ってしまいます。

そのあと、また布団から出て、遅く起きてダイニングに入ってきた家族と朝食をとり、定期服用の薬を飲んで9時ごろの相場のオープンまでは起きています。しかし、それから間もないうちにまた頭が重くなって、ベッドに入ってしまうのです。

気がついたらお昼だが昼食後も気分は冴えず

気がついたら、正午すぎて午後1時。昼食を食べますが、頭の重さや体のだるさは全く改善しません。そして、また布団へ…

午後3時前に布団から出て、再びダイニングへ。「もう自助努力をもってしてもどうにもならない」とようやく悟り、頓服薬を服用。

やっと頭と体が動き出す

 

なんとか、体が動くようになりました。やはり、薬なしでは動けませんし、頭も働きません。今日は夜にあと1回は頓服薬を服用しないといけないかもしれません。

…とまあ、こんな日はざらにある普通の日常です。そういえば、朝、朝食後に頓服薬を服用したような気がするんだけど…おかしいなぁ。気のせいか。まあ、仕方ない、ですね。

今夜は相場の流れも注目しなくてはならないし、土曜はまた早起きしそうですし、なんだかよくわからない生活を送っている私です。


昼間横になってしまうことが多いです

先日、月に一度の診察に行ってきました。

その時にも主治医に伝えたことですが、今も、パソコンに向かってブログを更新したい気持ちがあっても、すぐに気持ちが途切れて、精神的な圧迫感(ストレス)から、ベッド等に横にならざるを得ない日々が続いています。

主治医によると「病気の症状で、『疲れやすい』というのがどうしても出ている。薬ではある程度まで緩和しているが・・・」という話でした。

あとは、頓服薬を服用してみて、どれだけストレスを緩和できるか、といった感じのようです。このブログを書く直前に、頓服薬を服用してみました。少しストレスが緩和されて、パソコンに向かって作業ができるようになりました。

頓服薬には依存性は無いようなので、飲みたいときに必要なだけ飲めばよいのですが、頓服薬以外の定期服用の薬だけでは、安定して毎日を送るのが正直難しいです。外出する時もありますし、家にいるだけでも体が重くなって、先ほどまでのような状態になることもあります。

昼間に横にならざるを得ないというのは、生産的ではないので、とても困ります。精神疾患を持つものゆえの苦悩かもしれません。


あまり周囲の「雑音」に惑わされないように

「雑音」といっても、幻聴とかの話ではなく、私の周囲を取り巻く情報(ニュースなどだけでなく、リアルに顔を合わせた人が私に投げかけた言葉も含む)を「雑音」と定義してお話したいと思います。

相場をやっていますと、様々な情報に影響を受けて相場が動くのを目にすることは日常茶飯事です。私も、そういう情報の類に振り回されたあげく、損をしたことも枚挙にいとまがありません。

そういうことからも学べることですが、あまりにも周囲の発言や流れてくる情報類に耳を傾けすぎると、自分を見失ってしまいがちになる、というか、物質的・精神的を問わず、損をすることが多い、ということを感じます。

だからといって、僕にものの「ウソ・本当」や真贋が見分けられる自信はありません。ただ、そういう立派な人物になれなくても、いかに幸せに生きるかを考えたとき、大人になったら、例え人の忠告のようなものであったとしても情報類から耳の大半を塞いで過ごす方が、幸せに生きられるなぁ、ということを40近い年齢になって、ようやく悟れたような気がするんです。

障害者といえど、自分の意思決定権を他人に委ねるようなことは、やりたくありません。たとえ、平均的な健常者よりも意志薄弱だったとしても、です。そのためには、周りの言うこと、周りから聞くことは、半分半分で取り込んで、自分なりに噛み砕き、あくまで自分が思うように生きられることが理想だと思っています。

ただし、そういった、傍から見ると好き勝手生きているような状況が許されるためには、自分が精神的に自由であるだけでは足りないでしょう。物質的にも自分が自由にならなくてはならないと思います。

それが、私が金融やお金の話にやたらと話の時間を割いている理由でもあります。より「雑音」に惑わされない生き方をするために。


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