自分で考えて生きる時代(2022.4.26)

健康

最近、生きることへの積極性が少しずつ増してきていることを感じています。何が原因なのでしょう?

まず、家の中のこと…ゴミ出しとか、重い灯油ポリ缶を運ぶとか、親に頼まれて家財を他の部屋へ運ぶようなちょっとしたこと…ちょこちょこ生活しながら体を動かせるようになってきました。日常生活の中で体を使うことが元気で長生きの秘訣だそうです。お金を払って、ジムに行く必要とかは全く無いです。

食材調達については、親がやってくれますから、自分は買い物に行くまではしなくてもいいですが、公共交通機関を利用して、街を動き回ったり、街のちょっとした変化を眺めるのもいいですね。今は、とにかく頭を使うことがある意味では大切な時代ですが、「ちょこちょこ」動くことも同時並行で必要だと思います。そのなかで、自分だけの気づきが出てくる可能性があります。

最近は、両親も、TVといったら、スポーツ中継を観る程度ですが、自分はTVのニュースを極力観ないこと、あと、ネットニュースも題名だけ見てお終い、ツイッターも大幅に閲覧頻度を減らしたこと…こういったことで、だんだんと心が安らかになってきました。様々な情報媒体から、取捨選択をするのは勿論ですが、主にメディア報道を一歩引いて見るようになって、無意味な悩ましさ、みたいなものから解放された気がします。「今までの人生で、時間を大きく無駄にしてきたんだ」と今にして思います。

メディア報道は、「これから、どうやって生きていけばよいのか」を今までもそしてこれからも、教えてくれることはありません。政府も自治体も、ネットを介して直接国民に広報する時代ですから、そういう行政機関がやろうとすることを知りたければネット上で済んでしまうわけで、NHKやなんとか新聞や欧米大手メディアから発信された報道に生きる上で必要な事を教えてもらうことは、「ほとんど何もない」と言っても過言ではなくなりました。

時間を有効に使いたいものです。有益な話は、ネット上でいくらでもタダで流れています。そういったものをじっくりと拝聴する価値はあると思います。ただし、やはり「こうやっていれば大丈夫」という話を聞けるわけではないので、情報の真贋を見抜いたり、あるいはどう判断すればよいか困ることがあると、そこは自分の頭で考えることが求められます。

ですが、それでいいと思うんです。宗教の信者じゃないのですから、いろいろな人の論旨のエッセンスが自分の頭の中に蓄積されていって、それが遠くない将来に、爆発開花する、と思っておけば。

自分の頭で考えたことは、決して無駄になることはない、と自分は考えます。いくらかの外部からもたらされる情報は考えるためのたたき台として必要ではありますが、その情報源については細心の注意を払って選択する必要があると思います。

ネット網で親しい知人・友人と、相手の時間を特定の時間に束縛することなく、コミュニケーションの取れる時代になりました。リアル生活でも、家族で共有する情報もあります。その話をするための情報源が、ネット上の情報だったりします。そうやって、横のつながりを持って、情報とかアイデアを融通し合うことができる現在は、幸せだと思います。

そうやって、少しずつ世の中が変わっていくと思います。この先、生活が自分だけでなく多くの国民レベルでも苦しい時期が来る可能性がありますが、毎日「生きている」という実感を持って、試行錯誤もしながら、毎日の生活を、特に私のような障害があって働くのに制約のある者は、家の中のことをより積極的にしていくことで、前向きに生活できるようになる気がします。

今まで、自分がそのことに気がつかなかったのは、外部から入って来る情報に過度に振り回されてきたからだという面もありますが、体調の変化もあって「ようやく機が熟した」のだと思います。無理に家族等の周囲の近しい人間が「少しは家の中のことをしろ」などと強いても、自分にその気が無ければ、動く気もないでしょう。それが自発的にやる気が出てきたことが、個人的には今だったということになるかと思います。

「情報」についての話をこの記事で多く採り上げましたが、情報を自分の中で精査することが人間が生きるためにどうしても必要な事ですから、書きました。日常生活の充実の方が勿論優先度は高いのですが、その日常生活の充実のために必要なのもまた、「本物の情報」なのだと思います。両方があってこそ、自主性のある人間として生活が送れるのだ、と考えています。

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