これからの生き方とか、日本のこととか(その1)(2021.11.23)

健康

前回の記事で、「自分を幸せにしてからでなくては、周囲を幸せにできない」と述べたと思いますが、今回の記事は、その続き、今日(23日)にあった出来事や、考えたこと等を中心に書いてみたいと思います。3回に分けて、書くことにします。その1回目。とりとめのない話ですが…

23日の自分は、あまり「幸せ」を実感はできていないで終わってしまったように思います。

この日は、朝食後、散歩するにはあまりにも寒すぎたので、一日中ずっと家に籠っていようかとも思ったのですが、天気予報が良い方に間違って、空から陽の光がのぞいたりするような、曇り空になってきました。母親が「スーパーマーケットに行く」というので、僕も荷物運び要員として、随行することにしました。今回は、食料品の買い物のみが目的だったため、近くのスーパーに直行しました。

まず、パンコーナーでパンを買い、続いて、魚売り場へ。母が「昨日1万円だった『(活)松葉ガニ』が、1枚8千円になってるわ(笑)』と言っていました。母が子供の頃は、いくらでも安値で手に入っていた松葉ガニ(ズワイガニ)が、今はとんでもない高値になっています。

野菜売り場や精肉コーナーも、置いてあるものは前回随行時とほとんど同じ。ほうれん草とか、かごに入れましたが、外国から輸入されている野菜類も結構ありました。

最後に、総菜売り場に寄ったときに、僕の好物のチキン南蛮が久しぶりに置いてあったので、買ってもらいました。それで、精算して、持参マイバッグに買ったものを詰め込んで、帰宅。

昼食後、なぜか疲労感が強烈に襲ってきたので、急いで自室に行って、そのままベッドで数時間寝てしまい、起きたら午後4時を回っていました。相当グーグー寝ていたようです。

夕飯前に、父が外出している間に、母と向かい合って、少し話をする時間がありました。僕が「今日は僕、疲れた。幸せに過ごせた実感が無い」とつぶやきました。それを聞いた母は、「この調子で毎日生きていたら、つまらないだろうね」と言ってくれました。

話を続けていくうち、「僕みたいな、精神病の若い子たちって、みんなどんなふうに暮らしてるんだろうね」という話になり、「病気の人同士で、横のつながりって、できるのかな?」と2人で考えてみましたが、「やっぱり、お互いに事情が違うし、無理なんじゃないか」ということで、「デイケアに行くぐらいだったら、今僕がやっているように、健常者のいるところに出かけて、健常者たちと話をしている方がストレスレスで、よりましなんじゃないか」という結論になりました。「病気で孤独で、ひきこもってる人って、多いんじゃないかしら?」という話で一致。

その後、「なんだか、食べ物も何を食べても『おいしい』って、最近感じられなくなっちゃって…」と自分だけの現象なのかな、と思って母に言ってみたら、母が「私も」と。最近の、活力が何となく低下した世情も影響しているのでしょうか。

「まあ、全部食べられるかわからないけど」と言いつつ、母が温めてくれた、午前中スーパーで買ってもらったチキン南蛮を、僕が完食。量としてはそれなりにあったんですが、まあ、元気がそんなに無くても、食べられるものだ、と思いました。

「元気がない」状態で、以前は「死にたい、死にたい」と母親にどうしようもないことを訴えていた自分も、最近は、「産んでくれた親を悲しませちゃいけない」と思い至って、今は「死にたい」と自暴自棄気味に吐き出すように母の前で言うことは、やめたのですが、「まあ、(将来を悲観して)自殺したって、有名人でも、そのうち忘れられちゃうんだから、『そんなに死に急がないでも、天寿を全うして死んでも同じだから、ダラダラと生きて寿命が尽きて死ぬ…それでいいんじゃないかと思ってる』」と母に言ってみました。母は「いろいろ考えていくうち『死にたい…』と思う時は誰しもあるかもしれないよ」と冷静に受け止めてくれました。

それから、家族3人がダイニングにいる間に、僕がスマホをいじっていて、久しぶりに「読みたい本」が見つかったのですが、Amazonでは出品者がAmazonではなかったため、他のネットショップから注文。本を読んでみたい気はするし、食欲は大して無いし、元気があるのか、幸せなのか、なんだか自分の状態が良いんだか悪いんだか、よくわかりませんが、「病気がつらい時は、本なんて読めないんだから、本を読む気があるというのも、少しは幸せな証拠なのかな」と思ったりしました。(つづく)

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