病気と「付き合って」焦らず生きるしかない(2021.11.15)

健康

診察日が近づきました。同じ精神科に通い続けるうち、主治医の切り出す言葉は、どこの病院でも一緒です。「いかがですか?」。慢性疾患の統合失調症であり、かつ、医師が患者と体をつき合わせて、余程異常が無い限り、「いかがですか?」と訊いてくるしかないんだろうな、と思います。

とはいえ、患者としては「普通です」では回答としては不十分でしょう。病気で「普通じゃない」から病院に通っているわけで、何かを医者に伝えないといけない。それについて、どんなことを主治医に伝えたらよいのか、ここ2日くらい、母と話し合いながら、考えていました。

まず、最初に決めたのは、次回の診察からは、母は診察室で同席せず、僕一人で主治医の診察を受けること。母親が介在してしまうことで、病気の症状の問診に加え、生活の質を上げるために、主治医がとんちんかん…といっては言いすぎでしょうが、訪問看護とかの提案とかの話とかを過度にやっていたことを体験して、「医者には、的確な処方をしてもらう役目だけを果たしてもらえばそれでいいよね」と僕と母で結論付けました。精神保健福祉士が仕事をあっせんしてくれるわけでもないし、訪問看護は何の役にも立たないだろうことは想像がつきます。

そして、今の主治医に対して一番伝えないといけないことは、僕の症状の中でも、治療を始めてからも全くと言っていいほど改善が見られない、易疲労性のこと。「風呂に入るだけでもひと仕事やった感じで疲労が出る」「自分が何か小一時間活動したり、おしゃべりを続けてしただけで、後々疲労感がずっしりと出てきてしまう」このことは、しっかりと伝えて、僕の特性として、主治医の頭に入れておいてもらわないといけないと思いました。

転院前の医師は、こういった易疲労性を僕が訴えた時、「それは、病気の症状だけれども、薬で治すことは難しい」と答えてくれました。障害年金の医師の診断の内容欄にも「疲れやすく…」という文言を必ず記入してくれていました。統合失調症の症状として、易疲労性というのは、ありふれたものなのでしょう。今の主治医は、あまり気に留めていない感じなので、再度、強調しないといけないように思いました。

あとは、身の回りのことで、洗濯をして、干して、取り込んで、畳む動作まで、自分でやっていること、シャワーを3日に1度くらいは浴びていることなどを伝えるくらいだろう、という結論付けでした。

まあ、親も年老いてきたけど、まだまだ元気だし、僕も、差し迫って食っていけるかどうかの瀬戸際に立たされている状況にないので、病気と付き合いながら、「焦らず」生きていって、そのなかで、自分に適した生き方、お金を得る方法など、ゆっくりと考えていくしかないなぁ、と思いました。

ただ、仕事については、かなりの制約があると思っています。一般企業やA型事業所での就労は、上で述べたように、僕が「疲れやすい」ことから、体が持たないし、田舎なので、適職を見つけることは、ほぼ、諦めています。B型事業所は、経験したものの、薄給過ぎて話になりません。その割にはこき使われる感じも体験しましたし。

広い世の中、自分で適職に出会う人は、必ずと言っていいほど、他人との出会いもきっかけになっています。精神病患者は、半ば引きこもり生活だったり、行動範囲が狭い場合が多く、「人との出会い」が乏しくなりやすい傾向があると思います。そこが障害だとも感じていて、それは、なかなか解消が難しい問題だと、頭を悩ませています。

それでも、「ゆくゆくは、何とかしたい」と思いながら、暮らしているところです。

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