「一人で暮らしていく」には(2021.11.7)

健康

夜、母が夕飯を作る段になって、僕と雑談するうち、母が「今、とらのすけがやっている『家事』は、皆の皿を洗ったり、自分が入りもしない浴槽を洗ったりして、なんだか『作業』をしているようで、それは『自分の生活』になっていない。しかも、皿洗いを全員分、朝・昼やった、やったと言っているけど、その後の様子を見ていると、とても疲れてしまっているように見える」と言い出しました。

「(医者の)先生が、『家の中のことを少しはやらないと…』と言っていたのでやっているのかもしれないが、ちょっと今やっていることは違っていて、とらのすけが一人で生きていくための行為になっていない。家族全員の洗い物をやってくれるよりも、寝る直前まで使っていた(僕の)コップを洗ってくれるだけでいい。そのほうが、逆に『自分のために、自分の生活として洗い物をしているんだな』と思えるし」とか言うのです。

話は過去の話になりますが、僕も実家から遠く離れた地で、学生生活とともに、アパートでの一人暮らしを4年間全うしました。その頃は、すでに統合失調症の症状がポツリ、ポツリと顔を出していて、疲れやすいという、この病気の症状も、既に出ていて学生生活に大きな影響を与えていたのだろうと想像されます。

学生生活では、買い物、浴槽掃除、洗濯、料理、洗い物等の後片付け、物干しなどをすべて自分でやっていました。学業のことなどは一部しか印象深いものは無く、上記の一人暮らしの一連の生活に必要な作業で、何とも言えない苦痛感を感じていたことが今でもつい最近のことだったかのように思い出されます。

時は進んで、就職先を退社して実家に戻って、最初に統合失調症を診てもらった病院の主治医が、初診からだいぶん経ってからですが、母親と僕との2人で診察室を訪れたある日に、「家の中のことを(僕に)させてあげてください」と母に言ったのを、僕は今でも覚えていて、学生時代の生活のことに加え、そのことも含めて母に話しました。

母は、「学生の時は、まだ、治療を全く受けていなかったのだから、その時のことは忘れよう。その時は大変だったことでも、今は薬で、体が動くようにはなっているはずだと思うし」と言い、続けて、

「あなた(僕)は『自分のことしか自分は考えられない』とよく言うよね?それなら、他の人のことまでやるのは大変な苦痛だろうし、『仕事』になってしまう。そうじゃなくて、今、一人で生きていく『生活』をできる力を付けなくてはいけないと思う。洗濯物だって、とらのすけの分は、何日か、自分の分だけ溜め込んで、自分で洗濯して干すところまでやった方が良いと思う。全員の分を毎日一気に洗濯機にかけて、あなたが干すようなことをしていては疲れ果ててしまうと思う」と言うのでした。

洗い物も、この先やるであろう、洗濯や料理も、僕自身の分だけを自分でやって、「作業」ではなく「生活」をしているんだ、という意識を持ってやっていかないと、先へ進めないのではないだろうか、ということでした。今現在、僕がやっていることは、それとは方向が違う、と言うのです。

今日の今日まで「ああ、今日も洗い物をして、家の中のことをできたんだ」と感じていましたが、それは僕が一人で暮らしていくための準備としては、求められていたものではなかったんだ、とやっと理解ができました。

明日以降は、朝・昼の家族3人の洗い物をすることからは手を引き、風呂の浴槽洗いもやめます。で、「自分の分の洗濯物を自分で洗って自分で干す」というのを、次の生活の目標にして、母親と話し合いながら、進めていくことにしました。

あくまでも、僕が「一人で暮らしていく」ことができるようになるために。

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