外で元気に動けるのだから、家の中のこともやって、僕の生活を充実させないと(2021.10.20)

健康

今夜も、この時間(23時45分)になるまで、起きていられました。これが、正常な状態だと思います。「ラツーダ」錠は就寝直前に他の薬と一緒に服用することにします。

さて、夕食時になって、また僕のプチうつが始まり、「何のために生きているのだろう?」「何かやろうとしても何もできない」とか言い始めて、夕飯を料理し始めた母親を困らせ、どころか、苦しめ始めました。

母親が、「もう私の頭が発狂しそう!」と言うので、僕も反省して、それ以上、苦しんでいるようなことを言うのをやめました。

「病気で苦しい時でも、バスに乗って病院に通えたり、近所を散歩して話をして帰ってこれる人が、どうして家の中のことは全くできないと放棄してしまうのかが理解できない」と母親に言われました。

そう言われてしまえば、その通りで、家の中のことだけ「自分にはできないからお母さんに任せる」というのは、話が通らないというものです。

ちょっと弁解させてもらうと、確かに、以前の病院に通っていた頃、ブロナンセリンを多く処方されていた頃は、ちょっとしたことで疲労感を催しやすかったのです。当時の医師には「それは、病気の症状だから」と言われていて、それで自己正当化していた面もあるのですが、午前中に外出すると、その後疲れが出て、昼寝をしてしまう頻度が今と比べてものすごく多かったのです。

簡単に精神的ないし肉体的疲労を受けてしまいがちだったことから、「家事の頼まれごとなど、自分にはとてもやってのけられない」と言って、浴槽掃除、掃除機での掃除、皿洗い、洗濯など、ありとあらゆる家事を拒んできていました。

しかし、「何のために生きているのか?」「何かやろう」というようなことの答えは、近所の独居のご老人方がやっているように、母親に言わせれば、「家事をごにょごにょとするだけでも十分達成できるはず」ということになり、僕が「何かやろうとしても、何もできない」という嘆きに対しては、「いったい、何をしようというのか?目の前でやる必要のある家事等を下に見ているようにも見えるよ」と言われてしまいました。「青い鳥を探し回っていて、最後になって青い鳥が自分のいた場所の鳥かごにいた話のようなものに思えてしょうがない」と。

確かに、そう言われてみれば、そうかもしれません。ブログを書くような行為ばかりを上に見て、家事等の毎日必要な仕事を下に見ているようではいけません。たとえ、他の精神障害者の方で、一切の家事を放棄して、今の僕のように生活している人がいたとしても、そういう人のことは置いておいて、僕自身は今の暮らしぶりに不満を持っているわけですから、僕は、なにかしらの家事手伝いをやったほうが、絶対に生きている実感が増えてくるはずです。

家事を少しずつやっていくことについては、主治医も勧めていたことでもありますし、デイケアに行かないでも自由に動き回れる体であれば、家の中のこともやってみましょうよ、と言うのは自然なことでしょう。ブロナンセリン錠と違い、今の主治医が処方をしている「ラツーダ」錠は、日中に出る疲労感が格段に軽くなっていることは、飲み続けていて、分かってきています。副作用が少なくて、良い薬です。

であれば、最初の一歩は腰は少し重いかもしれないけれど、家の中のことを何か習慣的にやって、生活を充実させる一助にしていこうよ、と前向きになって、やっていけないとダメじゃないか…とようやく思えるようになってきました。確かに健常者よりは手先の処理速度や仕事にかける時間は、思うようにはかどらないかもしれないが、着実にやっていかないと…と思いました。

なんだか、自分が情けない…と思ってしまいますが、前の日の夜とこの日の夜では、自分の気持ちがだいぶん違っていて、周囲に気持ちを配る余裕がなく、気候の激変のせいもあるのか、抑うつ気分気味になっていることにも気が付きました。そういう時には愚痴もこぼしやすくなり、母親にもショックを与えやすいので、母親もこの日の夜は相当つらかったと思います。

気分にムラがあることはどうしようもないにしても、自分がこれから動き出さないと、愚痴と母親の発狂寸前状態の繰り返しの悪循環に陥ってしまいますから、なんとかして、自分が「それでも生きている」という実感を持って、母親と笑顔で過ごせるようにしないといけないな、と反省も込めて思いました。

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